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修多羅市民センター

TEL. 093-751-0720

〒808-0035 北九州市若松区白山1丁目9番13号

周辺の名所・旧跡THE NOTED PLACES

河泊洞

 河泊洞 河伯洞(かはくどう)は河童の棲む家という意味で、火野葦平 が河  童をこよなく愛したことから付けられた。葦平はこの河伯洞で昭和15年から昭和35年亡くなるまでの大半を過ごし、『花と龍』をはじめとして数多くの作品を生み出した。・河伯洞は、父・玉井金五郎が息子、葦平のためにとその印税によって建てが、葦平は、戦友達の苦労への思いから、このことを負担に感じていたといわれている。・また、この河伯洞に多くの友人、文学仲間を招き新年宴会を開くなど九州の文化人の交流の場となった。平成8年10月、遺族玉井氏から北九州市に寄贈され、市の指定文化財となる。 書斎の机の上に「足は地に 心には歌と翼を ペンには色と肉を」と書かれた色紙が置かれています。 


金毘羅山と金毘羅神社

 金毘羅山  金毘羅神社
 戸畑区で一番高い山、高さ125mの金比羅山です。山頂には、金比羅神社が祀られています。金比羅神社祭神 少彦名命事代主命
由緒 元文3年(1738年)この地に居住する久保某が、讃岐国金比羅大神を勧請し建立したと云われています。また、境内には大正6年に建てられた「神林造成之碑」があります。


白山神社

 白山神社  白山神社
 創め元正天皇霊亀二年(716)四月白山女体権現を藤木童子丸(現在の神元)に勧請し、村落の発展に伴い、寛永六年(1629)修多羅村稲荷山(現在の古前辻ケ谷附近)に産土神(氏神様)として奉祀されました。
 貞享二年(1685)その位置が村端の故浜田城址北ケ坂の岡(現在の若松保健所附近)に御奉遷、又々、その地が村下にて、村中に災害が多いいうので、享年四年(1719)秋九月二八日、葉山の現在地に御遷座されたのであります。とくに享年二年(1717)筑前黒田藩が、修多羅字石崎浜(現在の修多羅バス停附近)に貢米積立所を芦屋より移し、遠賀・鞍手・嘉摩・穂波四郡の貢米を集めることとなり、藩主の尊崇とみにあつく、大庄屋はじめ庶民の崇敬が加わりました。 現在の御社殿は、御鎮座三百年・皇紀二千六百年奉祝記念として、昭和十年着工、同十三年造営された銅板葺総檜神明造で同年当時若松で唯一の縣社に御昇格したのであります。 御配神の須賀大神は、もと境内に須賀神社としてスサノウノミコトの、竒魂・荒魂をまつられており、夏の疫病退散・災害消除祈願能祇園大祭神幸式(七月)氏子山笠奉納神事(戸畑の幟り山・提灯山と同型)は、江戸中期より修多羅祇園として盛大におこなわれました。 又、菅原大神は、もと修多羅字筵屋(元の青葉ケ丘女子高校体育館附近)にまられてあった筵屋天神(太宰府天満宮と同じ祭神)で学業の神として多数の崇敬者があります。 大正九年二月、当社の境内にご遷座、前記須賀神社として奉祀されておりましたが、昭和十三年の御造営の折、御本殿の相殿に配神として合祀されたものであります。

佐藤公園(高塔山公園)

 佐藤公園(高塔山公園) 山手町からの高塔山への登山道は、1931(昭和6)年、久留米の工兵18大隊によって建設されました。登山道の入口の右に白山神社があり、左には佐藤公園があります。
佐藤公園と高塔山公園は、桜の季節には花見ができます。高塔山公園と同じように、佐藤公園にもあじさいが植えられています。 

安養寺

   
修多羅山安養寺は、天文年間、大庭隠岐守景種を開祖、行明大和尚を開山として創建された浄土宗の寺院です。北九州・若松が生んだ芥川賞作家、故火野葦平が眠る玉井家の墓は、このお寺にあります。葦平は河童を愛したことで有名ですが、高塔山の河童封じの地蔵堂は、当寺の飛地仏堂です。

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