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日本陸軍は、昭和14年(1939年)弾薬庫を建設するため、小熊野村等の住民を移転させ小倉兵器支廠山田分廠(通称:山田弾薬庫)として昭和16年(1941年)より使用開始 、戦後米軍によって接収されましたが、昭和47年(1972年)返還され一部は自衛隊の訓練用地となっています。 また、この弾薬庫は昭和21年5月21日午後7時15分頃、一の谷第四号倉庫が大爆発し、蕨採りやマキの材料として弾薬の箱を取りに行っていた住民等百余名の死傷者が出ました。しかし、占領軍が現場検証もさせなかったため、原因等は不明のままです。 現在、自衛隊の訓練地には、鉄条網と防火帯が昔のまま維持されており、境界には陸軍と防衛庁の銘が刻まれた境界石が設置されています。米軍が接収していた時は、この防火帯をMPがシェパード犬を連れて巡視していました。 なお、弾薬庫の爆発で犠牲になった高槻小学校の児童の両親が寄贈した銀杏の木が、旧校舎のあった槻田中学校の校庭にあります。 |
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九州鉄道大蔵線の橋梁で、煉瓦積のアーチ橋は、八幡東区の茶屋町と尾倉町の2箇所に残っていますが、鉄橋の橋台はここしか残っていません。 また、左岸の橋台は残っていない為、貴重なものと考えています。なお、この内文化財の指定を受けているのは、茶屋町橋梁のみです。さらに、大蔵バス停前には大蔵駅の説明板はありますが、こちらには何もありません。 |
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