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赤坂市民センター

TEL. 093-601-0782

〒807-0829 北九州市八幡西区星和町28番26号

周辺の名所・旧跡THE NOTED PLACES

八釼神社

 八釼神社  由緒 日本武尊が、熊襲を征伐された時、この地を通られた。また、神功皇后もこの地で神祇を祭られた。このような霊地であることから、貞元元年(976年)祠を建て祀ったとあります。また、一説には、源範頼が平家追討の命を受け、故郷三河の国(愛知県)より熱田八剱神を勧請して武運長久を祈願したと云われています。昔は、現在地より西北十町許の場所にありましたが、永禄元年(1558)火災で焼失し、その後現在地で再建され本城村の産土神として祀られています。


蛭子谷城跡

   寿永4年(1185年)、平家追討の命を受け九州入りした源頼朝の弟源範頼(のりより)は、本城の蛭子谷に城を築き、芦屋町の山鹿城にいた原田種直と戦ったと云われています。城跡からは、須恵器、青磁器、白磁器等が出土していますが、本城霊園建設のため、城跡は殆んど消滅しています。

力丸古墳

   昭和52年に発掘調査され、平安時代の貝塚と室町時代の墓石(一般庶民のものと思われる)が出土しました。

聖塚

   室町時代、夜越といわれるこの地は、人里離れた淋しい場所で、この付近を通りかかった高野山の修行僧が賊に襲われ殺されました。 その後、この修行僧の怨霊があらわれ、通りかかった人々に祟ったので、村人達は塚を造り供養したところおさまったと言われ、いつしか聖塚と言われるようになりました。 古墳時代の円墳である可能性もあります。

旗頭神社                           
   由緒 応神天皇に筑紫の人民視察を命じられた武内宿祢は、この地に陣を構えた事から陣原の地名が出来たと言い伝えられています。明応から永正年間(14921520)、花尾城主として遠賀一円を支配していた麻生興春が花尾城から山鹿城へ移るとき、陣原の里でしばらく休憩しました。花尾城を望みながら美しいこの亀山の地が気に入り、死んだらここに葬ってほしいと旗を指し立てて標としました。大永2年(1523年)興春の遺志に従って旗指神社が創建されました。慶長11年(1605年)、黒崎城主井上周防之房は、武内宿祢の徳を敬慕していたため、社殿を再興し、之房が陣原に住まいを移した頃、旗頭社と改名して陣原の産土の社としました。現在の社殿は、文久2年(1862年)に造営されたと言われています。
 

舎月庵                                      
  舎月庵
本尊 十一面観世音菩薩
穴生弘善寺の末庵で、寛永6年(1629年)に井上周防之房が創立したと云われている。
また、この地は、元和元年(1615)井上周防之房が黒崎から移り住んだ屋敷跡です。井上之房(九郎左衛門)は寛永11年(1634年)11月22日に亡くなる。享年は81歳で、墓は遠賀郡岡垣町高倉の「龍昌寺」にあります。 
本陣橋                             
   渡し船の替わりに架けられた本陣橋で、その名前は、本城の本と陣原の陣をとって付けられました。新橋架け替えに伴い、大正13年竣工の旧橋柱が橋のたもとに保存されています。

               


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