遠賀堀川が完成すると遠賀川の上流の村々から「年貢米」や「作物」などが「川ひらた」という船で運ばれるようになりました。潮の満ち引きに関係なく「品物」が若松まで運搬出来るようになると、遠賀堀川沿いの村はとてもにぎわい、遠賀堀川沿いに町並みがつくられていきました。 1840年頃になると、筑豊地方で掘られた石炭は「川ひらた」に積まれ、遠賀堀川を通って若松へと運ばれました。多い年には、1万そうを超える「川ひらた」が遠賀堀川を通行しました。 1891年頃、運賃が安く、しかも石炭を速く大量に運べる鉄道「筑豊線」が開通、1908年頃には「香月線」が開通しました。いくら「川ひらた」でも「蒸気機関車」による大量運送には太刀打ちできず、最盛期には13万そうを超えた石炭の運送も急激に減り、鉄道による運送に切り替わっていってしまったのです。 そして1938年には、とうとう「川ひらた」は遠賀堀川から完全に姿を消してしまいました。 |
作成中 | 「まんぽ」とは、関西の方言で「トンネル」のこと。 「ねじりまんぽ」は、本町通りの道路と高架橋の線路が斜め(75度)に交差しているために使用された工法。 日本最大級で、通常のトンネルと連続しているのは折尾のみ。 |
折尾神楽は、かつて大阪で開催された万国博覧会で国 的な喝采を浴びた出雲の国「石見神楽」にそのルーツを持っています。「石見神楽」の流れをくむこの神楽は、
昭和45年に折尾神楽保存会が始めたもので、北九州各地 の神社で奉納されています。演目に「鈴鹿山」「恵比寿」「大蛇退治」などがあり、華麗な衣装をまとって、小学生からお年寄りまで幅広い世代の住民が参加します。 北九州の気質に合うように、テンポ早く激しく舞うこ とで、北九州の郷土芸能としてすっかり定着しました。 |